上野戦争における木城花野の勝海舟宛の書状

 

 

上野戦争で戦死した彰義隊の客将・木城安太郎もしくは三左衛門の妻木城由子(号・花野)

勝海舟に戦後あてた書状の全文

安房の君 御直披        花野

当今の形勢は実に叡慮に出でるところか、はた天命か

止みなん止みなんとして、又止み難き徳川家忠義の浪士、

上野山中、戦史の有り様、元よりいくさの意味無きに

大軍、四方を取り囲んで、火中に必死を極めたる其の忠、其の義、

伝えきく、都にはこの頃楠正成が為に叡慮を寄せさせ給うとか。

楠は南朝方なり。然るを北朝の御皇統にて末の世の今に、

至らざる御事の出で来たるは、ただ其の忠によるものなるべし、

上野の宮へ討っ手を向けられしは、また高氏を例とや言わん、

定めて勅諚のもあるべきなれど、不思議の事と思われ侍る

いかでこの忠臣どもが大和魂の動きなきを憐れむべき

君、主は無くとも幸いに君尽力して、千変万化のおはすにあらずや

早く其の亡骸を徒め、せめては亡き霊を宥めまほし

尤も忠臣義士の死に様、世の人に示さんには中々に屍の面目、徳川家の誉れ也

一度は人心をして歓ばしめ、二度は人心をして傷ましむ

是をしも雨露に曝し、日に乾かし、長く泥土に置くものならば、其の怨みは天下にあらん

早く取り収めん事を公になさしめたまえ

官軍も彼の楠を例とせば、いかでか是を悪ろしと申さん

此の事、篤く篤く(とくとく)と申すなり

婦の饒舌も時世にこそよれ、さるも猶お罪とせられば、座して死を待たんのみ

何とかすべき、

あなかしこ、あなかしこ

上野山、動かず、去らで、不如帰、鳴く音、血を吐く、五月雨の頃

 

(大蔵八郎編 新彰義隊戦史 勉誠出版から引用327-328ページ)

www.amazon.co.jp