孔子と弟子の対話(ダイアログ)処女と童貞
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いですよね」
孔子「その通りだ」
弟子「然し逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「可笑しいじゃないですか、何故この様な意識の違いが生まれるのですか?」
孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」
弟子「では30年も侵入を許していない砦は相当頼もしいのでしょうか?」
孔子「建てられてから30年も経つと、砦はどうなるかね?」
弟子「多くは朽ち果て、場合によっては打ち棄てられます」
孔子「その様な砦を攻める者は居ないという事だ」
これの続きを考えてみた。
弟子「さぞかし先生はお若いころたくさんの砦に侵入したのでしょうね」
孔子「う、うん。しかしな由よ私は常に初陣に臨むがごとくに振る舞っている」
弟子「それはなぜでしょうか」
孔子「夏の桀、殷の紂、皆おごり高ぶった末に滅びている。彼らのような不義に陥らないように常に初心にもどって言動に一々注意し、まるで砦など侵入したことないように振る舞うのだ」
弟子「戦々兢々として、深淵に臨 むが如く、薄氷を履むが如し、とは此の事ですね」
孔子「さすがじゃ。由よ、一を聞いて十を知る、とはそちのことだ」
解説
夏の桀、殷の紂は孔子より前の時代の暴君
「戦々兢々として、深淵に臨 むが如く、薄氷を履むが如し」は詩経の一節。論語で引用sれている。
由は子路のこと。論語では一を聞いて十を知るのは顔回と孔子によって評されている
私の独断で弟子を子路にしてみた。
脳に良くない7つの習慣
1、寝るのが遅い
2、糖分をとりすぎ
3、おトイレを我慢する
4、朝食をとらない
5.午前中ずっとねてること
6、テレビを見ながら食事する
7、頭にかぶり物・靴下をはきながら寝ること
上野戦争における木城花野の勝海舟宛の書状
上野戦争で戦死した彰義隊の客将・木城安太郎もしくは三左衛門の妻木城由子(号・花野)
が勝海舟に戦後あてた書状の全文
勝安房の君 御直披 花野
当今の形勢は実に叡慮に出でるところか、はた天命か
止みなん止みなんとして、又止み難き徳川家忠義の浪士、
上野山中、戦史の有り様、元よりいくさの意味無きに
大軍、四方を取り囲んで、火中に必死を極めたる其の忠、其の義、
伝えきく、都にはこの頃楠正成が為に叡慮を寄せさせ給うとか。
至らざる御事の出で来たるは、ただ其の忠によるものなるべし、
上野の宮へ討っ手を向けられしは、また高氏を例とや言わん、
定めて勅諚のもあるべきなれど、不思議の事と思われ侍る
いかでこの忠臣どもが大和魂の動きなきを憐れむべき
君、主は無くとも幸いに君尽力して、千変万化のおはすにあらずや
早く其の亡骸を徒め、せめては亡き霊を宥めまほし
尤も忠臣義士の死に様、世の人に示さんには中々に屍の面目、徳川家の誉れ也
一度は人心をして歓ばしめ、二度は人心をして傷ましむ
是をしも雨露に曝し、日に乾かし、長く泥土に置くものならば、其の怨みは天下にあらん
早く取り収めん事を公になさしめたまえ
官軍も彼の楠を例とせば、いかでか是を悪ろしと申さん
此の事、篤く篤く(とくとく)と申すなり
婦の饒舌も時世にこそよれ、さるも猶お罪とせられば、座して死を待たんのみ
何とかすべき、
あなかしこ、あなかしこ
上野山、動かず、去らで、不如帰、鳴く音、血を吐く、五月雨の頃